シークレットゲームBlackJack/Separater |
廃墟にふさわしいギィギィと軋んだ音は出ず、滑らかにアルミ製の扉は開いた。 廊下に面した無数、といってもいい部屋の一つに朝凪 忍(アサナギ シノブ)は足を踏み入れた。 部屋は何もないがらんとしたコンクリートむき出しの空間で、めぼしいものは部屋の奥に二つ、アルミと木の扉がある。 土足で横断することになるがどうせ廊下と同じコンクリートの床で、さらにホコリが積もっているのでローファを脱ぐという作法は欠片も浮かばなかった。 同じくアルミ製の無骨な扉を開くと、部屋に来た廊下とは別の廊下が広がっていた。部屋を通り抜けられるつくりのようだ。 もう一つの木の扉は水洗の和式トイレにつながっていた。 二階をしばらく探索してみてわかったが、このフロアの部屋は倉庫のように煩雑にガラクタが積み上げられた個室か、ここのように何もない広い部屋の二種類しかないようだ。 一階の目覚めた時のようなベッドが備え付けられた客室を見掛けない。代わりに、トイレにつながる部屋が多々ある。 「……………長期戦は覚悟しろ、ってことですか」 三日間。 この殺し合い《ゲーム》の期間だ。長いか短いか、なんて聞くまでもない。殺し合いうんぬん以前に生物にとって三日は長い。二時間で喉が渇いて、三時間で腹が減り、四時間でもよおすだろう。生理現象は必ず起きる。 その問題をどうするかと思っていたが、答えは簡単だった。 喉が渇いたなら水を飲め。腹が減ったら食べろ。もよおしたらトイレに行け。 トイレは今しがた確認した。食料は倉庫のような個室のダンボールの中にあった。缶詰やカンパンのような保存がきくものやペットボトルに入った水にコーヒ粉、ご丁寧にも電池式のコーヒーメイカーまであった。 本気で三日間この建物に閉じ込める気なのだ。 煙草を吸おうとボケットに手を伸ばすが、そこには何もなかった。数日前に弟に禁煙を言い渡されて奪われたことを思い出して忍の顔は苦くなる。 愛用する煙草は古い銘柄なので簡単には手に入らず、ストックは全部回収されて手持ちはなかったのだ。 はぁ、と溜息をつくと忍は部屋を出た。灰色の部屋の中にいるとさらに気が滅入ると思ったからだ。 しかし廊下に出ても灰色なのは変わらない。明るすぎず暗すぎない、絶妙な気味の悪さを蛍光灯が演出している。 いつどこに誰かが襲いかかってくるかもしれない状況で、この視界の悪さではすぐそこの廊下の角に誰かが隠れているのではないかと疑心暗鬼にかられる。それが三日も続けば一般人はまず壊れてしまうだろう。そうでなくとも足はすくみ、歩く速度は遅くなる。 だが忍は相変わらず同じペースで歩いている。角を曲がる時も速度を落とすことも、挙動不審に周りを見回すこともしない。 「曲がりくねって案内板・誘導灯なし。消防法違反してますよねえ」 忍にとって気になるのは潜伏者の有無よりも迷路のような廊下のようだ。 歩いてみるとよくわかるが、ホテルやマンションの廊下のような見かけとは違い、歩行者のための配慮が全くされていない。 曲がり方には規則性がなく、部屋の配置も同じで倉庫の隣に広い部屋があるような無秩序だ。こんなホテルがあったなら遭難者が続出するだろう。 来た道を注意深く覚えている忍ならともかく、どこか抜けてそうである札槻少年なら進行方向を変えるだけで迷ってしまいそうだ。 言ってしまえば、それほどあからさまに無理矢理といってもいいくらいに迷わせるような造りをしている。 「………………ホテルを改装してこんな迷路にするのは手間がかかり過ぎますね。なら………一から全部作った、か。迷路にしたのはこの建物内を広く見せるためと、目的地に行きにくくするため、でしょうか。 ………それにしたって、非常識な」 建物を一から作るのは、相当な費用がかかる。場所によって値段が変わる地価を含めなくとも箱物だけで9ケタは基本だ。そして全国、すくなくとも関西圏と関東圏の真反対の地域から人を拉致してくるのは一人二人の人間の犯行では無理である。 それらを鑑みると――――――――― 「…………ろくでもないことには、間違いないですね」 考えても仕方がない、とまた煙草を取り出そうと上着の内ポケットに手を伸ばした。あるはずのない固い感触がした。もちろん、煙草ではない。PDAだ。 PDAの中の地図は二階だけだがもう見なくとも覚えてしまったので、しまいこんでいた。 考えるべきは《ゲーム》の背景ではない。たとえサッカーボールの製造過程を知らなくとも審判の半生を知らなくとも、ゴールにシュートを決められる。殺し合い《ゲーム》で気にするべきは背景やらスミスの正体ではなく、生き残るための方法だ。 そのためには首輪を外さなければならない、と忍は首に手をやりつるりとしたそれを撫でた。 幸いと忍の首輪解除条件はそう難しいものではない。そして直接的な脅威については、どうとでもなるというくらいには腕っぷしに自信がある。 だから考えるのは、エクストラ・ゲームで死んだ青年の事だ。 「…………死体のそばにPDAがなかった」 青年が死んだ時に忍が真っ先にかけよったのは生死の確認の他にもう一つ、PDAを確認するためだ。 PDAはどれも機能が一緒であり、他人のPDAの条件を満たしても自分の首輪は外せないから、忍には他人のPDAは必要ない。 逆に、PDAが必要になる人間もいる。 PDAを集める必要のある【K】や壊す必要のある【8】などがそれに当たる。 ならばいざという時の交渉材料になるだろし、過分に持っていたとしてもデメリットはない。 だが青年はPDAを持っていなかった。 持っていたとしてもあの爆発では衝撃で壊れてしまっている可能性は低くないとは考えていたが、持っていないことは想定していなかった。 地雷から走って逃げる途中に落としてしまったのかもしれない。もしそうならば彼を追いかけていた地雷の爆発に巻き込まれた可能性が高かったため、探しに行かなかった。 まさか逃げるのに必死で落としたのではなく、故意に爆発に巻き込まれないように落とし誰かに託した、などとは流石に忍にも予想できない。 「…………ん」 「お」 もちろん、この遭遇も予想は出来なかった。 灰色の十字路に差し掛かった時、横手から人が現れたのだ。 「おおう、まさかこんなに早く会えるなんて。〈天の神様の言う通り〉は本当だったのか、信仰心に目覚めてしまいそう」 どこにでもいそうな特徴のない少年―――札槻少年だった。その陰には彼の手を握る髪の長い少女―――神薙嬢がいる。 手をつなぐ様は仲良し兄妹がそろって公園に遊びに来たようで―――というにはいささか二人の歳は離れているが、仲の良い兄妹に見える。 「どうしたんですか」 年下に丁寧語を使うのは仕事柄なので特に思うことはなく忍は尋ねる。 二十数分前に一/二階段前で別れた時は二人とも疲労困憊で休んでいたはずだ。自分でも図太いと思う忍はともかく少年少女にとってはキツい数時間だっただろう。 忍が来た道を戻っている途中だとはいえ、追いつくには十分で休むのを切り上げて来る必要がある。 何か起きたのかと忍は考えたが、それにしては札槻少年の態度には切迫感が感じられない抜けたものだ。 「それが朝凪さんと別れた直後ぐらいに参加者が階段から上ってきたんだ」 「それは、初めて会う人でしたか?」 「うん、高校生ぐらいの眼鏡をかけたイケメン。彼もわけがわからず《ゲーム》に参加させられたみたい」 「名前は?」 「清木 妻吾(セイキ サイゴ)」 「……………なんとも、まあ、あからさまな偽名ですね」 「?」 忍の言ったことがわからなかったのか札槻少年は首をかしげる。 「………〈世紀最後〉だなんて不吉な名前を名付ける親はいないでしょう」 「でも二十世紀が終わっても何も起きなかったけど」 「世代の差ですかね、世界が終わるとか言われて結構世間をにぎわせたんですけど。 こんな所で話しこむのも何ですから、戻りながら話しましょうか」 「そうだね」 札槻少年はそれだけ言うと歩きだした。真っ直ぐに。彼らが来た道に背を向けて。 「…………」 「あ、あのっ」 手を握っていた神薙嬢が引き止めるように両手で札槻少年の腕をつかんだ。 「なに、ココちゃん?」 「えと、戻るのなら、そっちじゃなくて、こっち、です」 「……………」 「……………」 「まあ、そっちからでも戻れるね」 きょとんとした顔でくるりと反転し札槻少年は来た道を戻っていく。どうやら彼は致命的に方向音痴のようだ。 すたすたと歩く彼の後を手を握って神薙嬢がついて行く。 幼い時の弟もあんな感じで自分の後ろにひっついて歩いていたと懐かしく思いながら忍も続いた。 「その偽名君は何か言っていたかい?」 「んー、他の参加者について聞かれたくらいかな。朝凪さんについても話しちゃったけどよかったかな」 「いいですよ。不都合はないですから」 「他には、彼が会った参加者について、かな。エクストラ・ゲームの時に女性二人といたらしいよ。詳しくは聞けなかったけど」 「となると、出会ってないのは後三人ですか」 札槻少年に神薙嬢。 朝凪忍と若村。 細波青年と小鳥遊嬢。 出会ったという眼鏡の少年と他女性二名。 そしてエクストラ・ゲームの青年。 参加者が十三名なので、あと三名がこの建物にいることになる。 「ところで、どうして僕の所に来たのですか? 休んでいてもよかったのですけど」 歩きながら忍は札槻少年に問いかけた。 「んー、やっぱり一人でうろつくのは危ないって話になって、誰が朝凪さんを探すのかってなったら、大人である若村さんは他の人が来た時のために残ることになって、清木さんは朝凪さんのことを知らないから消去法で僕に」 「それならお嬢さんは残してきた方がよかったのでは。責めている訳ではないですよ」 怒られたと思ったのか、びくりと神薙嬢の肩が跳ねたので、最後の一言をすぐさま付け加えた。彼女はどうも人見知りな性質のようで、札槻少年以外には子供らしくない怯えた態度を見せるがそれも仕方がないだろう。 神薙嬢は表面上こそ平常のようだが目元に浮かんだ疲れは隠せていない。 彼女はまだ義務教育もまっただ中の少女だ。平然とはいかないだろう。ここに至るまで悲惨な出来事――――誘拐に人死に―――に出会ったなら気絶や自失してもおかしくなく、まだ歩くことが出来るというのは十分に称賛に値する。 それだけに休ませるべきだと忍は思ったが、札槻少年は苦笑して言った。 「僕もそう言ったんだけど……………」 「…………」 視線を落とすと彼の腰辺りにある神薙嬢の肩は落ちてうつむいている。その手は痛々しいくらい白くなって、見るだけでわかるくらいに強く手を握っていた。 そういうことか、と思った忍はこの話題を続けるのを止めた。 見知らぬ建物で見知らぬ年上の人間達に、惨劇。 少女を怯えさせるには十分どころか心が耐えきれない恐れもある一連。 その中で、年上なのにどことなく抜けていて、下手をすると少女の方が精神年齢が高そうな少年は、唯一安心できるものだと雛鳥の刷り込みのように思っているのかもしれない。 それならこの建物で出会ったばかりとは思えない仲の良さにも説明がつくだろう。 「んー、そろそろお腹が減ってきた気がする。ココちゃんは?」 「わたしは、それよりも、お水が欲しい………」 「あー、まあ今午前六時半くらいだから………起きたのが三時だとして、いつもは六時起きだから本当なら今は何時くらいかというと…………、…………。さてココちゃん、何時か計算できるかな? 決して僕が出来ないから代わりに計算をさせるわけじゃないからね」 「えと、九時間半です、よね?」 「即答!? ……………、…………うん、そーだね。そんくらいだねきっと。たぶん。 九時半なら一時限終わるころか。朝飯なしでそれならお腹もすく。 ココちゃんは朝御飯、パン派、ご飯派? ちなみに僕はトーストにご飯ですよ派」 「えと、わたしは、牛乳派、です」 「牛乳好きなの?」 「あの、背が、低いから…………」 「そう? 背が低くてかわいいと思うけどなー」 「あ、ぅ……………」 数時間もすれば話した本人ですら忘れてしまいそうな取りとめのない話をするのは、不安にさせないためなのか天然なのか。どちらであっても神薙嬢は時折、弱々しくはあっても笑うこともあり、いいことだろう。 丁字路を左に曲がった二人の後を追いながら忍は声をかけた。 「そこら辺の部屋を探せばたまにペットボトルに入った水や食料がありましたよ」 「………………」 飲食の欲求を語っている二人に飲食について教えれば喜ぶかと忍は思ったのだが、返事がなかった。 不思議、までとはいかない違和感を忍は覚えたが、角を曲がることでそれは氷解した。 曲がった先が行き止まりだったのだ。 「え…………?」 驚いて出たのか神薙嬢がか細い声をこぼした。 忍達は若村と出会った少年が待機している階段の踊り場に戻ろうとしていたのだ。来た道を戻って。 なのに、行き止まりに出くわすのは有り得ない。 「道は間違えてないよね」 「えと、そのはず、です」 「………………?」 そもそも道を覚えていない札槻少年はともかく、忍に話しかけられたというのに普通に返答した神薙嬢は驚いているようだ。 自分の記憶に自信があったらしく札槻少年の手をとって、とたとたと行き止まりの灰色の壁に近づく。 「…………?」 「あ、これ壁じゃないや」 不思議そうに壁を見上げる神薙ぎ嬢の横で札槻少年が拳の甲で壁を叩いた。ごつごつと固い音ではなく、がしゃがしゃんと耳障りな音がたった。 「これシャッターだ」 行き止まりの壁だと思っていたそれは灰色のシャッターのようだ。 シャッターが下りてしまったせいで来た道がふさがれてしまったのだろう。 しかし、こんな建物の中にというのもだが、何故シャッターが下りているんだ? ――――――――まるで、忍達を通さないかのようである。 「―――――――――そこからっ、」 脳裏に走った想像に忍は嫌な予感がして、少年と少女に声をかける。 が、それよりも早かった。 全部を言い終える前にシャッターの直前の床がぱっくりと落とし穴のように開いて、少年と少女を飲み込んだ。 『ゲーム開始より06時間33分経過/残り時間66時間27分』 第十四話 二階探索―――――――――――――終了 第十五話 強襲落下 目次に戻る HPに戻る 素材屋・ |