シークレットゲームBlackJack/Separater

   



第十三話 階段上昇





   若村 光(ワカムラ ヒカル)がこの建物の中で目を覚ましたのは、たった5時間前の事だ。
 長い、というほどではないが短いとは思えない時間の間にいくつものことがあった。目が覚めたら見知らぬ建物の中に誘拐。強要される殺し合いゲーム。見せしめのように殺される青年。同行者との別離。

 そして――――――――殺害の解禁。

 人を殺すなど創作物上にはありふれているが法治国家日本では考えることすら許されない行い。誰もが一生に一度は考えるも、おぞましさと保身により一生に一度も体験しない人間が大部分を占めるだろう。
 いきなり「殺しあえ」「ハイやります!」とは出来の悪い小説ではないのだから情動や倫理、今までの常識がそう簡単に覆るはずもなく、結果、殺し合いなんておこるはずもない。

 だが、覆るほど、ここは異常な状況〈シュチュエーション〉だ。

 玄関フロントで入り口をふさいでいたシャッター。あれは前回、もしくは前々回の《ゲーム》参加者の悪足掻き、だと結論付けた。自分たちの以前にも《ゲーム》は行われていた。
 しかし、今までそんな話は警官である光でも聞いたことがなかった。警官であると表沙汰にならない事件や上からの圧力で捜査すらも止められる事件が希有ではあるが、存在する。だがそんなことになると、逆に下世話な好奇心で話題として広められることが多い。

 だというのに殺し合い《ゲーム》なんて荒唐無稽な話は寡聞にも知らない。つまりこの《ゲーム》は隠される以前に表に出ることすらなく、誰も知らないのだ。

《ゲーム》なんて最初から存在していなくて、死んだ人などいないように。
 ――――――――――この《ゲーム》で誰が殺されそうが、誰も知らない。
 ――――――――――ここで誰が殺しても、誰も知らない。

 知らないことを罪には問えないし罰することも出来ない。
 保身に走る必要はない。
 誰かを殺さないと首輪に殺される。
 自分への言訳もあった。
 生き残れば莫大な大金が手に入る。
 エサもご丁寧にあった。
 殺さないと、殺される。
 危機感と不信をあおる状況だった。

 こんな状況下にマトモでいるというのは、至難だ。
 たとえ人殺しに踏み出す人間がいても責められないだろう。責められるべきはそう思考がいきつくように仕組んだ何者かだ。

 そこまで理解している光でさえ《戦闘禁止の解除》というたったそれだけのことに動揺してしまっている。他の参加者がどのような心理になっているかなんて想像もしたくない。

 だがその反面、どんな心中なのか想像もできない参加者もいる。

「もう午前6時とか………あと一時間でポンキッキー始まってしまう」
「ちょうど零時から《ゲーム》は開始したみたいですからね」
「あと一時間でここを脱出せねば……………!」
「さっきまで無気力だった少年からやる気のオーラが見える。ポンキッキ―の魅力すごいですねー」

 たった数分前に戦闘禁止が解除されたということは、すぐそこの角から命を奪いに誰かが襲いかかってくる可能性がゼロではないのに、朝凪青年と札槻少年は街中を歩いているような気軽さである。

「あれ見ないと一日始まった気がしない。コニーちゃんとジャンケンしないと何もかも始まらない」
「僕はP君が好きですね。楽屋裏では大阪弁でしゃべってそうですけど」
「やめろやめてくれP君はピーとしか言わない。ココちゃんは誰が好き?」
「えっと、レイモンドさん、が…………」
「それ番組違う!」

 札槻少年はいまだ背負ったままの神薙少女に苦笑いをする。

 わいわいとテレビ番組の話に花を咲かせるのは若者らしくて自然と頬が緩みかけるが、背景の廃墟のような灰色がチグハグで奇妙さが際立つ。死体を見て、殺されるかもしれない場所では、ふさわしくない明るさが奇異である。

 自分とはあまりにも違うテンションに光は思わず聞いてしまう。

「き、君たちは…………心配じゃないのかい」
「何が」「ですか」「……………?」

 三人とも立ち止まってはてな顔で振り返る。
 心当たりが全くないといった態度に思わず自分が変なのかと錯覚しかけるが、やはりおかしいのは目の前の若者たちだろう、と自分に言い聞かせ光はひるみかけた心を立ち直させる。

「《戦闘禁止》が解除されて、誰かが襲いかかってくるかもしれないんだぞ」
「ああ、そういうことですか」

 意味がわかったとばかりに朝凪青年は手の平をぽんと叩いた。

「別に《戦闘禁止》されましたー、ってだけですぐ人を襲うような人は少ないと思いますよ。法律で禁じられているから犯罪を犯さない人は確かにいますが、それだけじゃない人の方が確実に多いですよ」

 言葉だけ聞けば楽天的、な常識に依存した根拠がない発言に聞こえるがそうではないだろう。多くの人々を見てきた根拠のある厳然とした冷静な意見。

 達観しているような発言に光も気おされるように同意する。

「それは、そうだと思うが…………」

 そうだとしても落ち着きすぎじゃないか? と光は口に出さず思う。頭は理屈を理解しても、心はこの誘拐されて周りが自分を殺しにかかってくる状況に拒絶反応を示す。大なり小なり感じるはずだ。

「僕は学生時代を合衆国で過ごしましたから慣れてますね。襲いかかってくるかもしれない、というのなら向こうも同じですよ。外で隙を見せたら冗談抜きで命の危機ですから」

 特異な経緯、この雰囲気は慣れているから朝凪青年は平気なのだという。その胆力には驚きを通り過ぎて呆れるしかないのだが、少年はどうなのだろうか。

「僕?」

 中腰になって背中の神薙少女を落とさないようにして彼女の耳をふさいでいた札槻少年が顔を上げる。

「んー、現実味がないから、かな。まだ理解出来てないと思う、頭悪いから。それに他人に命狙われる経験なんてないから反応に困る」
「はー…………」

 青年とは逆の経験がないという理由で札槻少年も気楽そうな態度らしい。呆れるやら感心するやら、ない混ぜになった溜息がでてしまった。しかし、続く札槻少年の言葉でその溜息は変わる。

「それに、年長者が不安がると年下の子はもっと不安になるだろうから…………空元気、かも」

 耳をふさがれてきょとんとしている神薙少女がずり落ちかけたので札槻少年は体を揺すって自分の背から落ちないようにした。

 年長者による歳下への気遣い。不安にさせないためにも、無理にでも明るくする、
 当たり前のことで、そんな当たり前のことに気が回るのはやはり少年は十分に冷静なのだろう。いや、歳下の子がいるからこそ、か。守るべきモノがある人間は強い。

「そうだな。つまらないことを言ってすまない」

 最年長者としての自覚を取り戻して、光は頭をかいた。自分がしっかりしないでどうする。この程度のことで揺らいでいたら、それこそ死んでしまう。

 ――――――一瞬でもこの二人が《ゲーム》に乗り気なのではと疑っていたなんて、馬鹿な話だ。

 自分を叱咤する光の心を見抜いたように朝凪が慰めるような取りなすような事を言いながら歩きだした。

「確かに、この建物の中には十三人………いや、青年が死んで十二人います。その中で誘拐犯の思惑通りに人を殺そうと決意する人間はいるでしょう」

 再開された歩みに、札槻少年は聞かせるべき話じゃないと思うのかいまだに神薙少女の耳をふさぎながらよろよろと歩き始める。背後を守るように最後尾で光も続く。

「そんな人間がいたとしても、こんな男3人を素手で襲うのは難しいと思いませんか? こんな窓のない廃墟ではガラス片も手に入りませんし、せいぜい積み上げられている荷物の中のフォークが関の山です」
「ちなみに僕生まれてこの方喧嘩したことない」
「君と彼女の二人は戦力外だとしても、前と後ろをそれなりな体つきをした男二人をしてるんですから、そうそう危険な目には合わないでしょう」
「…………そうだろうな」

 つらつらと安全性を述べる朝凪青年に表向きは首肯したが、光は頭の中で疑惑が青空を隠す雲のように浮かんでいた。


 ――――――――――本当に安全なのだろうか。


 男三人も集まっているのをわざわざ襲うのは無謀に近いだろう。
 だがそんなことは少し考えれば誰にでもわかる。だが、誘拐してまで殺し合いの《ゲーム》をさせようとした人間が、そんな事に気づかないだろうか。

 PDA――――この携帯端末にしたって、この建物にしても準備するにはかなりの額の金と量の人間が動いているだろう。そんな多数の人間が絡んでいるのに、この程度の穴に気付かないなんてあるのか。もしかすると徒党を組むだけでは安全が確保できないのではないだろうか。

 そう、例えば、あの地雷のようなものがまだ多数存在していたり―――――――――

「……………っと、アレですね」

 嫌な予感しかしない想像を朝凪青年の発した声で打ち切り光が前を見ると、目指していた物がそこにはあった。

「や、やっと……………階段に、ついた。これで、休、める」

 よたよたと頼りない足取りで少女一人を担いで汗を流している札槻少年の言う通り、数メートル先の壁がなくなって階段が鎮座していた。
 駆け足で光は近づいてその階段を見る。

「なかなか大きいな」

 コンクリートむき出しで無骨なコンクリートビルの階段みたいだが横に大きく五人が横に並んでも上れる。手すりもついていて総合病院の階段のようだ。

「も、もう休んで、いいよね」
「とりあえず二階に上がってみましょう。誰か既に僕たちと同じ考えで、誰かを待っているかもしれません。もうひと踏ん張りですよ」
「う、うぃっす…………」
「お、おんぶ、降りましょう、か……………?」
「……………いやいーよ。上りきるまでがおんぶです!」

 重りを背負って一歩一歩を全力で上っていく札槻少年の後に続いて、光と朝凪少年も続いていく。横は広くもそんなに長くはなく、十数段上ると右に折れる階段を手すりにつかまって上る。

 約三十の段差を乗り越えて何もかも不明な建物の二階に踏み入れた。期待していた訳ではないが相も変わらずコンクリート一色の世界で一階と大して違いが見受けられない。
 エントランスに比べるとかなり狭いが開けた空間から前左右へ三本の見慣れた廊下が伸びている。

 先に到着していた札槻少年は少女を下ろすと、灰色の床に倒れるようにして座った。

「ぎ……………ギブ」
「だ、大丈夫、ですか」
「少し休ませてぇ…………」

 その隣に神薙少女も座り、白のワンピースのポケットから同じく白いハンカチを取り出して額に浮かんだ汗をぬぐっている。
 そんなやり取りを光はほほえましく見守っているが、朝凪青年は別のものを見ていた。

「どうしたんだい?」
「いえ……………三階には上がれないな、と思いまして」

 この建物は数階建てなのでまだ上に階はあるのだが階段はこの階で止まっている。三階へ上がる方法は少なくともこの階段にはないようだ。

「地図だとまた歩かないといけないみたいです。簡単に上らせてはくれないようですね」
「そんなことをしたら同じ参加者に出会う必要のある私以外は誰もこんな不気味な建物の中を歩き回らないだろうな。ここで、誰かが来るのを待てばいいんだな」
「はひぃ…………」

 力なく壁にもたれながら札槻少年が手をひらひらと振る。そんな少年の額を神薙ぎ少女がせっせっと拭く。
 当初の参加させられている人間に会うという目的だけではなく少年を休ませる意味でもここにとどまる必要がありそうだ。

 かくいう光もはき慣れない靴と目覚めてからの映画のような展開で疲れているので、休めるのはありがたい。そろそろ四十後半にさしかかろうとしているもまだまだ体力には自負があるが、精神がくたびれてしまうとそうもいかない。そうでなくとも近々、往年と比べると体力の衰えを感じているのだ。

 ネクタイを緩めて少年たちと同じように壁に背を預けて座ろうとする。スーツ姿で地べたに座ることに一瞬ためらうが、こんな時に気にすることではないな、と溜息をついて座った。

「僕は少し二階を見回ってきますね」

 取り残されるようにして立っていた朝凪青年は座ることなく、二階の廊下へと歩いて行ってしまった。

 少年は疲労困憊で聞こえたかどうかもあやしく少女は少年の汗をふくことで気づいていないようだ。気づいた光にしても同行する元気はなく、青年なら何があっても大丈夫だろうという今までの行動から判断して、青年の後姿に「気をつけるんだよ」と一声かけて見送った。

 彼の姿が廊下の先の角に消え、一息つけると脱力したのも束の間、上ってきた階段から一人の少年が階段から上がってきた。









『ゲーム開始より06時間11分経過/残り時間66時間49分』

 第十三話 階段上昇―――――――――――――終了




第十四話 二階探索






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